坂本龍馬記念館 新館長インタビュー |
![]() ![]() |
| 坂本龍馬記念館小椋館長の死去に伴い、新しく館長に就任された森健志郎(もり けんしろう)氏とはどんな館長だろう、興味しんしんの思いで、台風一過の9月7日にインタビューをしてきた。 インタビュー後の感想は、ズバリ一言「熱い」そして、元気もりもりの館長でした。 小椋前館長が「静」ならば森新館長は「動」だと思う。高知県人は山岳型と海洋型の2つのタイプに分かれる、といわれている。山岳型は中岡晋太郎や武市半平太を代表するような頭脳明晰で理論派といわれ、方や海洋型は坂本龍馬や後藤象二郎タイプの人間で、波が砂浜に打ち寄せ、あとは何もなかったように引いていく。気性は激しいが海のようなおだやかな一面を持っている。私は小椋前館長は山岳型であり、森館長は海洋型のタイプである、と思った。何事に対しても熱い熱い思いは、強く強く印象に残り、インタビュー中に多分龍馬もこんなに熱かったんだろうと思った。 では、インタビューの中身を紹介しよう。 森館長は今年63歳、血液型はAB型、住所は高知市中水道に奥さんお父さん娘さんの4人家族で、同じ敷地には息子さん夫婦が住んでいるという理想的な家庭である。 森館長は中国の張家口(ちょうかこう)の出身で、5歳のときに母の里である高知市に移住してきた。その後地元の高校を卒業後、立命館大学を経て高知新聞社の記者となり、社会部、学芸部の部長を歴任後、東京支社で7年勤務、高知に帰りグループ会社の高新企業に出向、2002年に退職した。その後2002年から2004年まで中国の新彊ウィグル自冶区の新彊大学に語学留学し中国語を学ぶ。これが森新館長のプロフィールである。 Q:森館長は定年後に中国に留学をしたのは何が目的でしたか? A:新聞記者時代にシルクロードを取材した、そのときからシルクロードの魅力にとりつかれた。中国には日本の文化のふるさとがあった。シルクロードは仏教伝道の基である。仏像などを見ると日本の昔が判るような気がする。一種の昔への郷愁ですかね、当時この取材に12社が参加していた、それぞれが独自の取材をしていたが最後に共通のテーマで取材をしようということになった。共通のテーマとは、「あなたは幸せか?」であった。中国の人たちは決して裕福な暮らしをしていないのにもかかわらず、道端でたたずんでいる人や生活している人たちが皆が生き生きとした目をしている。この輝きはなんだろうか?その訳を知りたかった。それで記者たちが会う人々に「あなたは幸せか?」を質問して聞いた。皆が「イエス」の返事であった。道端で農作物を売っている親子に「あなたはしあわせか?」質問した。「イエス」の返事が返ってきた。なぜかを聞いた。そうすると、「今日スイカが3個も売れた、うれしい」、「なぜって、私が作ったスイカをあなたたちは「美味しい」と言って食べてくれた、しあわせである」、親子が顔を見合わせてうれしそうに笑った。私はカルチャーショックを受けた。昔日本人がもっていた本物の幸せを彼らは持っていた。今の日本人はそれを忘れ去っているように思った。こんなことを先の取材で感じていたので、もう一度中国へ行って確認したく留学という形をとった。 Q:龍馬の魅力は何だと思いますか? A:私は、龍馬は人が喜んでもらえることをして、それを見て喜んでいた傾向があると思っている。だから龍馬の周りにはいつも人が絶えなかった、龍馬と居ると楽しいから、理屈はいらない、要は楽しい、これが龍馬の一つの魅力だと私は考える。 館に就任して気付いたことは、来館者が龍馬の手紙を必死で読んで、海を見て感動している、この姿を見て、龍馬の大きさや、龍馬を育んだ土佐の海などが来館者の心を癒しているのだろうと・・・・。これらの光景を見て改めて龍馬の大きさを知った。龍馬の大きさが大自然の中で合致する。館の第7ステージに立ち太平洋を眺めていたら自然に中国のシルクロードが思い浮かんでくる。人間は大自然の前には憧れ頭を下げるものです。シルクロードを思い浮かべていると自然と龍馬の魅力の原点を知ったような気分になる。 Q:館への抱負とか夢を教えてください。 A:小椋さんは館を龍馬への入り口だとして育て確立した。私は入り口から龍馬を発信し、交流したい。その先には地球の平和がある。そのために館を積極的に活用したい。例えば、この館の入館者の比率は県外が80%であるのに比べて、地元は20%で、この数字は非常に低い。充分に活用されていないのである。龍馬に対する意識が薄いのではないか、「また龍馬かヤ?」という風潮もある。そうでなく地元の人たちが龍馬という外見でなく、内すなわち志の部分に目を向けて欲しい。 そのためには、小学校などへ学芸員などが出向いていき、特に学校の先生たちにもっと龍馬を知って欲しい。それらがこれからの日本を背負う子どもたちが龍馬に興味をもってもらうことになる。龍馬はいつも自分の生きる意味(志)を持っていた。でも今の若者は自分で考える力を失っているように感じる。そして私が得たシルクロードでの知識や中国留学の経験や人脈を通じて龍馬記念館と中国という壮大な国との交流が持てるような橋渡しをしたい。そのことによって「また龍馬かヤ」と言っていた人たちにも龍馬の志の大きさを理解してもらえたらうれしい。龍馬が夢見ていたのは世界の海援隊であった。龍馬はいつも世界を意識していた、だから私が得た人脈やノウハウなどを通じて龍馬の世界観を館を媒体として県民のみなさんに伝えていきたい。 Q:館長に、という声がかかったとき、どう思われましたか。 A:念願の中国への留学も果たしたし、本も出版して自分のやりたいことを一応終えたときに館長の話がきた。前任の小椋さんとは家も近所でしたし、小椋さんはRKC高知放送だったし私は高知新聞社であった関係で親しかった。その小椋さんの後を引き受ける、これは一種の天命かなと思った。これが私の最後の仕事、社会的に使命を果たす最後の仕事、龍馬ならやりがいがある、心からやってみたい!と思った。昔に記者を志したときのように、やってみたい、やってみよう!と心に期するものが沸いてくるような感じをもった。 Q:森館長の座右の銘は、なんでしょうか。 ![]() A:それは「努力」と「勇気」です。人には努力しても結果が出ていない人もいる、努力しても良い文章が書けない人もいる。でも今は結果が出ていなくても、いい文章が書けなくても一所懸命やっていると、必ず結果は出るし、良い文章は書けるようになる。どれくらい努力するか、それが大切です。勇気は何をするにおいても必要です。人生の中で世の常識を覆さないと行かないときもある。前進ばかりでなく、時には引かなければならないときもある。すべて勇気である。人生ってその積み重ねではないですか。人生はいつも向かい風ですよ。これらは新聞記者時代に感じたし、今もその思いは変わらない。弱者が強い権力に立ち向かっていくのも自分の姿勢です。努力すれば自然と勇気は沸いてくるものです。 Q:最後に、今一番楽しいことはなんですか。 A:館から海を見ることです。海を見ていると眠気や疲れはふっとんでしまう。台風14号のときも見ていて、すごかったですよ、水平線が波立っている光景を初めて見て、震えたね。 以上が私のインタビューの内容です、どれだけ森館長の中に入れたかは疑問ですが、足らないところは皆さんが直に接してみてください、特にシルクロードや中国のことはその道のプロですから。1時間とちょっとの時間でしたが、気さくにいろんなことを熱く語ってくれた。インタビュー中、龍馬を感じたので、ぜひ皆さんも感じてみてください。私は一度で森新館長のファンになった。 (文責・植田 英) |
戻る |